入社した時は同じ感じだったのに、の罠
前回は、”バリキャリ勘違い説”を書いた。
今回は逆に、”バリキャリ受入れ説”を考えてみる。
女子大生のキャリア形成についての研究を見てみると、多くの女性は若い時に子供は30代後半や40代で産もう!とは、そもそも考えていない。1980年代も2000年代もアメリカもイギリスも大差ない。法学部や医学部などの学部も特に関係ない。社会に出る前の夢と希望に溢れた女子大生は、時代や国が違っても、みんな、いい感じで仕事して、”いいタイミング”で結婚して産みたいらしい。なんという普遍性!!!!
この時点でのキャリア形成はさほど違わないのに、社会に出てからの感覚値が違うのは気のせいだろうか?総合職女性が入社以降誇りをもって働いていたのに5年目くらいで俄かに、結局一般職の方が勝ち組だよね、という気持ちにかられたり、私達はそんなに仕事をしたいのか?という自問自答を繰り返しているのは何故なのか。
例えば総合職女性と一般職女性を例にとってみる。
特に入社時点で一般職の女性が能力的に劣っているとも言えないし、総合職女性がみなキャリアを目指している、とも言えないであろう。はたからみたらラッキーで総合職として採用された人も、総合職でもよかったけど一般職にした高学歴女子もいる。いずれにせよ就職活動においてのテンションや、親からの要望、周りにいる友人の影響等で入り口が”違っただけ”であり、両者とも”良いタイミング”までの時間の潰し方が少し違う、といえる。
しかし以前少し触れたが、自我形成について考えて見る。
少なくとも人類学においては自我は他人があって初めて成立するものであり、社会的に構築されるものであると考えられている。つまり、親といる時の自分、高校の友人といる時の自分、彼氏といる時の自分、などの組み合わせでしかないのである。特に他人との関係性によって動く自我の流動性の高さは日本語の構造からも見て取れ、敬語、謙譲語等々の複雑な言語パターンを使いこなしているのは相手との関係性を瞬時に判断し自我のポジションを捉えている、と言われたりもする。
自我についてこう考えるのであれば、入社時から5年も経てば総合職と一般職の女性の自我に差が出てくるのは至極当然のことである。総合職女性は総合職女性としての自我が形成され、一般職は一般職としての自我が形成され、その影響は服装のような些細なことから、恋愛観やキャリア形成まで及ぶ。だからまず、違うということの認識が必要になる。
これに加えて、もう一つの考えかたを加えたい。ピエール・ブルデューのハビトゥス(=習慣・習癖)である。彼の考えの基本は、人間の行動はその人の資本(文化的・経済的・社会的資本)が元であり、学校、職場、友人、というそれぞれのフィールドの力関係によって決まっている。そしてそのフィールド内でのルールも力関係によって変わっていくものであり、何が真実か、というのはそれらの関係性に委ねられている。 だから人間がどう行動するかを知るためには、どんな種類の力関係がどのように動いているのか、を把握する必要がある、ということである。
どんな育ちで、どんな人に囲まれてきたか、どうやって育ってきたか、によって人間の習慣が決まり、例えば就職すると同時に一つ”職場”というフィールドが増え、それが大きくなっていくにつれて人の習慣も変化してくる。
よくよく聞くとめっちゃ普通のことを言っている。ピエール。。
と思うが、ここで何故私がピエール!!と思ったかというと、”資本”という考え方である。大学まで同様、どんな家で育ち、どんな学校に行き、という資本によって人間の考えや行動が変化するのは社会に出てからも続き、それも資本に組み込まれる。
社会に出ると、社畜という言葉でネガティブに捉えていないだろうか?小さい時から能力や努力を知的資本として大事にしてきたのに、それが仕事を通して金銭的資本という目に見えるものに変わった瞬間、知的資本の存在価値が薄れてないだろうか。
ピエールさん的思考を総合職女性が俄かにモヤモヤし始める仕事と結婚アラサー問題に当てはめてみると、”アラサー”というフィールドがいきなり登場してきて、今までのフィールド内ルールをぶち壊してますね、みたいな説明になる。
でも少し冷静になるとそもそもアラサー、というのはフィールドではない。フィールドとしてアラサー・友人・学校・職場って並ばない。自身のルールを変える力があるものではない。
私そんなに仕事したくて会社入ったわけじゃないし?というのは、総合職女性として今まで積み上げてきた資本はカウントしませんってことになる。その積み上げた資本よりも、お料理教室で料理を習うことが今必須の資本なのか?
自分の自我なんてものはなく、環境に大いに左右されていることを念頭に、自分の資本と、フィールドを見直す。自身のなかでのルールを見直す。
これを受け入れると、少し違って世界が見えてくる気がしているし、そうしないとピエールが言うように何が正しいかは見えてこないのだと思う。バリキャリとして仕事を続けるかどうかは、本当に仕事を好きかどうかだ!とかゆう判断しがたいもので悩むのではなく、なりたい自分にとってその資本が必要かどうか、のほうが考えやすいのではないかなあ、と個人的には思う。
なんかここまで書いて、何気なくゲスの極み乙女聞いたら、「私以外わたしじゃないの」を小難しく書いたみたいな気持ちになってちょっと萎えた。笑
Bourdieu, Pierre, Outline of a Theory of Practice, Cambridge University Press, 1977.
自分で勝手にバリキャリって思ってるだけなんじゃない?
バリキャリってなんなんだろう。
とりあえずググってみたけどなんとまだウィキペディアになってない。。。
女性の描く理想のライフプランはどんどん変わってきている。
例えば国立社会保障・人口問題研究所が出している25-34歳の独身女性の理想のキャリア調査、というデータだけを見ても、結婚したら専業主婦になりたい、という女性は1987年に34%だったのが2002年で19%まで減り、逆に家庭と仕事を両立したいという女性は50%から66%に増えている。(第12回調査) 実際に、寿退職は減り、育休制度を使って就業継続している人が増えている。(第14回調査)
まあデータはともかく、働きたいと思って働く女性が増えている。そのなかでも先頭を全力で走っている感じの彼女たちこそがバリキャリだろう。
バリキャリというと恋愛も何もかもさしおいてキャリア優先!!!みたいな強めな印象を与えるが、そんな人は案外かなり少ないのではないかと思う。むしろ家庭と仕事のバランスとか、そういうのをとっても悩んでいる。
これに対して色々な見方を考えていきたいのだが、
今回は一つ目として敢えて「バリキャリ勘違い説」を紹介したい。
「日本の女性の願望、とくに中流階級以上の女性の理想というのは、旅行やドラマ、インターネットを通して強く海外の影響を受けている。それによって、彼女たちは欧米男性のような、女性にもより対等な責任と機会がありつつ、それでいてセクシーでロマンチックな、そんなものが見えてきてしまった。」Schoppa, L. J. (2006). Race for the exits: the unraveling of Japan's system of social protection. Ithaca, N.Y. ; London, Cornell University Press.
ビクッ!!Σ(・ω・;|||
「現在の日本の女性は別に単純にもっとキャリアが欲しいとか、いい給料が欲しいわけではない。彼女たちが欲しいのは、もっと平等なパートナーシップに基づいたもっとロマンチックな結婚が欲しいのだ。彼女たちが欲しいのは、一緒に家事をしてくれて、子供の面倒を見てくれる旦那だ。母親の世代のように、自分たちの人生を家事と育児に費やしたいわけではなく、むしろ旅行いったり、お買い物したり、自分のためにお金と時間を使いたいのだ。」(同上)
Σ(゚Д゚)!!!?
働く女性が増えたのは教育や仕事機会の拡大と国際化が進んで、所謂バリキャリが増えた、というのが社会学的な見解だとするならば、人類学的にみると、欧米の影響を受けたのは女性のキャリア思考ではなく、彼女たちの”理想の男性像”が変わった、のだという見解である。
単純に仕事を本気でしたい、自分の能力を活かしたい、とかではなくて、”家事と育児だけなんてやだ、私たちだってやりたいことやりたいし、家事とか手伝ってよ、今時、料理も育児も手伝うのがメインストリームでしょ?私だって働いているんだし!あ、でも自分の稼いだお金は自分のために使いたいの、だって大黒柱はあなたでしょ?”という都合のいい欧米化と、都合のいい古き良き日本の考えかたのコンビネーションの出来上がりである。
もしこれを仮定として考えると、先に言及したデータの裏側に隠されてる「第一子出産のタイミングで退職、という人が増えている」というデータも納得がいく。女性の管理職の割合が低いのもなんとなく納得がいく。働く女性はチャンスがあればどんどん活躍したいと思っている、という前提で企業が制度を整えてもいまいち効果が出ないわけだ。
私は総合職やトレーダーとして頑張っていてキャリアと結婚に悩む友人に、「いや、まじ、仕事大事とか、それ勘違いだから。」とかそういうことを言いたいわけではない。
むしろ、こうゆう考え方で見てみれば少しは気が楽になるのではないか?と思うのだ。
頑張る女性たちは責任感が強い。今やってるプロジェクトが終わらないと!とか、こんなにいい環境を与えてくれているこの職場と上司にまじ感謝!みたいなアツいやつが多い。だから、だんだん自分の脳内における仕事のポーションが大きくなり、女性総合職としてのプライドもできてきて、結婚や出産も気にはなるものの20台後半で精神的に動きが取れなくなっている。一般職いいよねー、とか皮肉に言いつつ、わたしたちは今それやると、逃げというか負けだよね、って話をする。
知らぬ間に自分でバリキャリの認識を強め、自分にプレッシャーかけていないか?
私たちの世代はアベノミクスの対象で、過渡期で、いろんなプレッシャーが前線のキャリアウーマンたちには降りかかっている。女性の活躍推進だ、と。世間からの期待と自分の意思がいつの間にか、交錯していないか? 自我が、「M商事の田中主任」である自分に完全に支配されてしないか?
でも、しんどくなったら、たまには少し一歩ひいて、
”どうしたいんだっけ?”と堂々と、ゆったりと、考えてもいいのじゃないか、と思う。
いい意味で、バリキャリは気のせいだ!と思うのもアリだともう。家庭と仕事のバランスで仕事を優先しなきゃいけない、と思いすぎなくてもいいんじゃないのかなって。
Schoppa, L. J. (2006).
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou12_s/single12.pdf
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou14/doukou14.pdf
卵子保存しようと思ったら出鼻をくじかれた。
卵子といったらかおり。
マジカルバナナかよ、っていうね。
でもそのおかげで多くの友人から卵子保存だけでなくて、OLからの留学、とかいろんな相談を受けることが増えたのはとっても嬉しい。そうやって頼ってくれる友人たちをガッカリさせたくないから出来るだけの文献やデータは頭に入れたいし、学生の身分を活かしてイギリスの病院にもフィールドワークに行きたい。ついでに”卵子凍結保存は今後日本でも、新たな選択肢として受け入れられる可能性があると思う”ってドヤってエッセイに書いてるくせに、そもそも自分が保存してないって、どうなん?って思ったから、昨年夏の一時帰国時に、とりあえずお医者さんをしている友人に相談してみた。
「いや、なんでもええけど、それより先に体は健康なん?婦人科系問題ないの?最近増えてんねんで。大丈夫ってやつほど大丈夫ちゃうねん。卵子凍結とか言う前に、一回まず調べといてや、怖いから。」
彼女は、京都大学医学部受験直後に、まあ受かったわ。とか言うキレッキレのドクターで、私は昔から彼女の的確な指摘に頭が上がらないので、即効言われた通りの検査内容が入ってるレディース人間ドックを探して予約した。
マンモグラフィーとか子宮の細胞の検査とか、なんか全部は覚えてないけど誘導されるがままに全ての検査を終えて、身長伸びてたーーーー!とか言いながら、特に何の不安もなくイギリスに戻ってきたんだけど、そしたら1ヶ月後くらいに親から「E判定です」ってタイトルのメールがきた。
E判定というフレーズ久しぶりに聞いて震えたよ。
高校2年の東大模試かよー。
成績が家に届く日を駿台に確認して、絶対親より先にポストを確認せねば、って思ってたやつー。鉄緑の先生に、模試の結果、来週の個人面談で提出ねー。って言われて、とっさに、受けてません。って言うたやつー。
ということで私は急遽また帰国して精密検査を受けて、現在は経過観察中という身分なのである。ちなみに、精密検査の時に、「今ってやっちゃいけないことありますか?卵子凍結保存とかダメですか?」って聞いたら、「はーい、ふざけないでくださいねー。まずはこれ様子見ましょうねー」って流された。
キャリアがどうとか、人生プランどうとか、卵子凍結保存したいとか言うまえに、そもそも健康かどうか、確認すべきだった。早期発見なので問題はなかったが、私の人生プランがガラガラと崩れ落ちていく音が一瞬聞こえた。
「その可能性はあるのはわかるけど、それは決して自分には起きない」心理がゆえの結果なのかもしれない。
優秀なビジネスマンが徹底して健康管理をしているように、優秀なビジネスウーマンの場合は、ちょっと面倒くさいけど加えて婦人科系のことも考えて健康管理ができることが必要なのかなと思う。
ちなみに私が行ったのはここ。
完全予約制で無駄な待ち時間も殆どなく超快適。お姉さん優しいし。
リッツカールトンのカフェの無料チケットもらえるよ。
レディース人間ドックというのは色んなクリニックでやってるけど、よく見ると微妙に検査の組み合わせが違ったりするので、自分に必要なのがどれか確認して選んでね。
(って、キレッキレドクターが言うてました。)
卵子凍結保存系女子?
私肉食系に見られるけど案外ウサギ系女子です。好きなタイプは〜、、あれ案外雑食系かもっ
もしこんな自己紹介している女の子がいたら、お前誰やねん、と言いたくなる。
日本人は得てして自分を何かのカテゴリーに入れるのが好きで、それは自我がないからだ、と日本研究の人類学ではよく言われている。
血液型占いに始まり、山ガールにロールキャベツ系男子にアスパラベーコン。
アラサー、という言葉もそのうちの一つであるとおもう。2006年頃からアラサーという言葉が ”アラサー”女性にとって、俄かに気になる言葉になってきたと思う。
スピア・ワーフの仮説というものがある。
人間の思考は言語の影響を受ける、もしくは決定されるという仮説で、例えば我々日本人には虹は7色(もしくは11色)に見えるけど、そもそも色を表現する単語が3つしかなかったら、その人たちにとって虹は3色のものなのだ、っていう話。
この仮説自体は立証されてないけど、確かにな、と思うことはたくさんある。
英語には肩こりに相当する単語がない(らしい)。だから彼らはある意味、肩はこらない。でももし彼らがその首肩周辺の痛みはKatakoriっていうんやで、って知ったら、多分いきなり”肩がこり”はじめる。
同じくして、アラサー って言葉があるから俄然27歳あたりからそわそわし出す羽目になってしまったのだけども、アメリカ人やイギリス人の友人に聞いても英語圏にはAround thirty や、これに似た年齢表現で人間はくくられてない。
だから(というと短絡的すぎるが)彼らは私の感覚からすればほぼ年齢は気にしていない。なんで30までに結婚して産みたいの?30超えたら何が変わるの?法律的に何かあるの?って聞かれる。
気のせいだよ。と。
あぁ。気のせい。正確には、言葉によって思考が制限されている、のかもしれないけど別にそんなのどっちでもいい。
自分の事なんとか系女子とか言っちゃう女子に対して冷たい視線送ってたくせに、気がつけば自分も自分のことをアラサーという枠組みのなかに自ら入れて、勝手に自分の人生プランに線引きをしてたかもしれない。勝手に、30までにはあと何年だから、、という思考になっているのかもしれない。
確かに10年単位で人生考える、というが、別に年齢ベースじゃなきゃいけないわけじゃない。中学、高校、大学で10年、年齢は12-22歳。社会人として10年、というなら次の区切りは32歳のはず。社会人として10年の間に何ができたか?そう考えるのは32歳の時でもいいはずのである。
自らの思考回路がある言葉によって制限されているかもしれないという、普通だけど忘れがちなことを念頭に置いてもう一度考えてみると、往々にして、なぜ、今、何に対してモヤモヤと苦しんでるのかが逆にわからなくなる。白痴論の「人はあらゆる自由を許された時、みずからの不可解な限定とその不自由さに気付くであろう」に見透かされてる気がしてくる。
なるほど確かにここから、「結局自由を自分で扱いきれず結局何かのカテゴリーを用いて自分を理解しようとしている傾向もあるのではないか。もっと自分を持ったほうがいいのではないか」的な議論にも持っていけるかもしれない。
でも別にそれで現在の社会のコミュニケーションがうまくいくなら正直それでいい。むしろ逆手にとって、卵子保存系女子、とかいうカテゴリーが同様に社会的に認知されて、そうゆう女性たちが変に攻撃されずに済むのであればそれでもいいんじゃないかとも思う。
卵子保存系女子。フリーズ系女子?
なんかフリーザみたいでかっこいいやん?
Whorf, Benjamin Lee, Language, Thought, and Reality, The MIT Press, 1956.
Deacon, Chris (2013) ‘All the World’s a Stage: Herbivore Boys and the Performance of Masculinity in Contemporary Japan’ in B. Steger and A.Koch (eds.) 2013, MANGA GIRL SEEKS HERBIVORE BOY: Studying Japanese Gender at Cambridge. Wien: Lit Publisher.
Sugiyama-Lebra, Takie (2004) The Japanese self in cultural logic. Honolulu: University of Hawai’i Press.
卵子凍結保存してまで欲しいキャリア?
自分の人生プランの一つとしての卵子凍結保存
というと、そんなことしてまでキャリア欲しい人たちがいるの?というコメントをよく。わかる。鉄の女かよ、って。
単純に自分のキャリアのためだけに最新の技術を乱用し、結果的に社会的モラルをさげてしまうのではないか。
ニュースや論文でも言われている一つの批判である。
でも語弊がある。”そんなことまでしてキャリアを追求”するために選んでる訳じゃないんじゃないかと思う。
確かに、ガン治療の一環でやむなく卵子凍結保存をする女性と比べると、ライフスタイルのために凍結しようというのは些か生殖倫理的に物議をかもす感じ。
”あの人、そこまでして何がしたいの、、”とか言われそうなやつ。
でも現時点において卵子凍結している女性の平均年齢は約38歳
たとえ”健康”な女性にとっても、卵子保存は自分のキャリアをコントロールするための単純な手段ではなく「緊急事態」、「最後のとりで」なのであるのだという。
例えばある調査によると、卵子凍結保存をした90%以上の女性が 「自然妊娠によって子供を産むのが最も理想(だったけどもう無理なんだもん)」と回答している。と同時に、彼女たちのほとんどが「パートナーがいない」ことを理由としてあげているのだ。
つまり、”あ、あれ?これ、このままいくと私全然適齢期に子供産めないフラグ?”
が立った時に、多くの女性は卵子凍結保存を考える、ということみたいだ。
それも皮肉なことにこの結果は彼女たちにとって「こんなつもりじゃなかった」の集大成だったりする。もうちょっと仕事頑張ってみよ、25歳の結婚は少し早いよね、、まあまだ出会いあるでしょ?
まさに私であり、多くの友人であり、東京たられば娘を読んで震えている全ての女性にあり得る結果にも関わらず、世界共通でこれは「そんなん言うても実際自分には起こらないはず」という根拠のない自信が女性を守っているのだと思う。
一般的に最も子育てに適した年齢は25−35歳。でもこの”理想”の期間に結婚と出産をするための準備期間が昔より少ない。短大と4年生大学でも2年差があるし、医学部や法学部はもっと長い。社会的変化に人間の生物学的変化が伴っていない。
もし誰かが、自分の人生プラン、キャリアのために卵子凍結するなんて自己中だ!というのであれば、彼女たちが勉強や仕事に費やしてきた努力を否定し、間接的に、女性は旦那を探し、”ちょうどいい”期間に子供を産めるよう集中しとけ、と言っているようなものではないのだろうか。
下手したら小学校高学年から続いてきた受験戦争や不景気ななかでの就活戦線を勝ち抜いてきたのに、そんな早々に戦線離脱したくない。これ本当によく聞く。
その気持ちに男女差はないし、人それぞれでいい。そう思う人が、男女問わず頑張りたいだけ頑張れるためのサポートを社会ができたらいいなと個人的には思う。
少なからず、今の所においては、自分の人生のタイミングと肉体的なリミットのギャップをうめる打開策として卵子保存という選択をしている、と言っていいと思う。卵子保存したいって言ってる女性がいても頭ごなしに否定しないで。
日本と不妊と卵子凍結
前回の記事でアメリカやイギリスで卵子凍結の需要が伸びてると書いたけど日本ではまだまだ。文化的、倫理的なことも含めてそんな簡単に広まるものではないとは思っている反面、私は日本でも需要はあると思っている。
その理由の一つが不妊治療の現状。
なんと日本は世界で最も体外受精に関して発展している国だという。
つまり不妊治療の選択肢として体外受精がかなり大きな需要を持っているという。
卵子凍結保存が劇的に発展した理由も1990年代前半に日本が開発したVitrification(瞬間冷凍的な)という技術だというからさすがだ、技術大国ニッポン。ロケットだけじゃない!
実際に600以上の病院が不妊治療に取り組んでいて、2001年から2010年の10年間の間に体外受精を行った患者は76,000人から240,000人の3倍、それもそのうちの30%が40歳以上で、これは他の先進国の割合と比べると4倍以上!どやっ!(厚生労働省)
体外受精の成功率は女性の年齢というよりは卵子の老化具合によって決まるものなので、もし所謂アラフォー様たちが自分はまだ”いけてる”と思っていても、卵子の老化というのはどうやら我々が想像するよりもはるかに早いらしい。
よくあるやつです。大学生のときは無敵だったし、みたいなテンションで飲んだら体が全然ついてこず、翌日に自分の老いを感じるやつ。別に太ってないし、って久しぶりにミニスカート履いたら何か得体の知れない違和感と切なさに包まれるやつ。私だけ?
でも卵子はお酒やファッションみたいにちょこちょこ確認する機会がないから”調子に乗り続けれる”わけ。さすがに美魔女も卵子までは美魔女にはできないわけです。
当然ながら不妊治療開始年齢が高ければ高いほど、成功はしにくくなる。その上、結果治療が長くなり費用もかさむから、不妊に対する鬱や罪悪感を引き起こしたり、夫婦仲が悪くなったりさえするらしい。ただ男性側に不妊の原因がある確率は女性と同じですからね、イーブンですよ。イーブン、男性陣もここんとこしっかり認識頼みますわ。
加えて、これは個人的な感想でしかないけど、”平均”ってあてにならない。
平均的に35歳超えたら卵子の老化のスピードが加速して妊娠しにくくなるっていうけど、バリキャリ女性たちは”平均”より脳も体も酷使してて体にストレスを与え続け、接待やらでお酒もよく飲み、残業メシとかいって男性と一緒に遅い時間にラーメンを食べ、それでも美人が多いのはまた別の謎ではあるが、体の内側、バイオロジカルな部分だけ見ると確実にかなりのダメージ受けてる。だから35より前から、”平均”より早めに妊娠可能性が下がってて、でも働き盛りで、なおさらキャリアと体のバランスがうまく噛み合わない現象が増えてもおかしくないと思うんだよね。
つまり元に戻ると、すでに多くの女性が不妊で悩んでいて体外受精をしていて、苦しんでいるということ。その上、働く女性が増えているいま、潜在的不妊治療患者も増えるだろうということ。
もし不妊に悩んでしまったら。
もしそのとき若い時の元気な卵子を使えたら。
卵子を保存しておいたら妊娠可能性を上げることができるかもしれない。辛い治療期間を短くすることができるかもしれない。自分の卵子ではどうしても受精せず止む無く卵子ドナーをもらおうとしたひとにとっては、自分の若い時の卵子を使えば遺伝子のつながった子供を授かるという選択肢が一つ増えるのかもしれない。
だからこの点において需要の可能性あるんじゃないのかなって思うわけなのだ。
もしかしたら、そんな辛いなら子供諦めたらいいのに。っていう人がいるでしょう。でもそれはあまりに傲慢な意見であって、もしかしたら一番言っちゃいけないやつ。不妊治療中の友人の言葉を借りるならば
ごめんで済んだら警察いらんわ。
諦めれてたらこんな苦労いらんわ。ってことだと思われる。多分。
卵子保存ってなによ。
私が卵子凍結保存のこと研究してるっていうと、案外多くの友人が興味を持ってくれる。何に驚いたかってFacebookに投稿したらコメントではなくてみんな個人的にメッセージをくれたこと。
私は研究テーマという名目のもと「卵子」を連呼し、”かおりといえば卵子だよね”、という文字通り受け取れば何か悪口っぽいニュアンスにさえなるキャッチフレーズをいただくまでになってしまっているが、ランチや女子会で大きな声でする話ではないか。
だからこそイギリスやアメリカに比べて情報が少ないしね、このブログが参考になれば嬉しい。
まずなぜ、卵子凍結保存なのか。
子供が欲しい女性にとっては定義上、継続して働ける限界がある。それは卵子の老化により妊娠率は35歳以降ぐっと下がってしまうから。これが意識的にか、無意識的にか女性のキャリア形成に影響しているのは、明らかなのである。
もちろん第一子は35までに産める可能性は高いけど第二子が35超える可能性全然ある。別にその時、まあ1人でいいかって思ったらそれでいいんだけど、将来の自分がどんな感情を持つかよくわからんし、そもそも人生がプラン通りにいかない。27歳のわたしはハタチの私の想定では大きいおうちで素敵な旦那様がいて、大きい犬飼ってレモンパイとか焼いてる系若奥様の予定だったのに今のところイギリスでリュック背負って自転車で登校するただのガリ勉大学院生だ。なぜだ!
卵子凍結保存は将来の妊娠可能性のために卵子を採取、凍結、保存することで、この一連の作業に通常4−6週間、利用する場合には解凍して体外受精と同様の方法で妊娠を図るというもの。
もともとは癌の治療の副作用で健康な卵子が出来なくなってしまうリスクがある患者さんのために使わていたけど、技術の進展により治療目的だけでなく個人の選択肢としての活用が徐々に注目を浴びてきた、という話。ちなみに英語では治療用と区別するために、Egg freezing for social/lifestyle reasons。
技術的に理論上は、卵子凍結保存は、若い時の健康な卵子を後で使うことができるから、妊娠可能期間を延ばすことができる!!なんということでしょう!!ということでイギリスやアメリカでは、働く女性からじわじわと注目をあびているわけだ。
例えばこれは少し前のBloomberg businessの表紙
いかつい。
かなり目を引くタイトルに意図的にされてる気がするけど
日本とはテンションが確実に違う。これ表紙て。
New Egg Freezing Technology Eases Women's Career-Family Angst - Businessweek
日本では2015年10月のVogueで卵子保存のテーマが少し扱われてたけど、これは2014年4月だからさすが早いですねパイオニアイギリス。
でももちろんこの治療に付随する、例えば薬による副作用や子宮外妊娠、高齢出産のリスクは考えないといけないし、保存する人は卵子凍結保存が妊娠を保証するものではないから過大評価しちゃいかんです。詳しくは今後。
でわ。
参考文献