Egg freezing?

元OL、独身アラサー、社会人類学専攻大院生が卵子凍結保存を本気で考えるブログ

”子供が欲しい”かどうか、どうやったら気づけるのか。謎。

気がついたら随分と時間があいてしまった。

試験準備、試験、燃え尽き症の2ヶ月の大半憂鬱だったのだけど、大学受験に比べれば全然、科目も少ないし期間も短いし、そもそもどんなにコケても留年はないだろうと思うだけには勉強してたし、確かに何点以上欲しいという貪欲な自分の中でのプレッシャーはあるものの、そもそも死ぬこと以外は別にかすり傷だろう!!、みたいな。やはり17歳のメンタルと27歳のメンタルでは、肝の座り方が違うもんだと、自分の成長を感じた次第。この感じだと37歳には鋼のメンタル。

 

試験勉強も嫌いじゃなかったが、やはりやっとこれで修士論文、つまり卵子凍結保存や不妊のことに専念できると思うと嬉しい。うぇい!!

 

今回の論文は社会学のジャーナルから。

加齢による不妊により妊娠補助治療を受けている女性のインタビューの論文をピックアップ。長い上に個人的に結構学びがおおい論文なので何回にわけることになりそうだけど、とりあえずむっ┌|゚□゚;|┐!!とくることがたくさんあるのでケーススタディだけでも流し読みしていただけると嬉しい。

 

特に避妊ピルを飲んでいるあなたへ。あと、初産が30歳超えそうだけど2人は子供欲しいと思っているあなたへ。(私含む)

 

Sociology of Health & Illness Vol. 34 No. 3 2012 ISSN 0141–9889, pp. 429–443

Age-related infertility: a tale of two technologies Elizabeth Szewczuk

Department of Sociology, University of Essex, 2012

要約

生殖機能は今や医療介入の的として注目され扱われてきているがしかし、矛盾していることに、女性は今までになく不妊の苦痛に悩むリスクにさらされていると言える。22名の不妊女性とのインタビューを通し、この文献は妊娠の延期から人口妊娠までの生殖に関する経験を明らかにする。インタビューした全ての女性が避妊法及び体外受精の両者を行っていたにも関わらず、誰一人として「望んだ時に、望んだ妊娠」を叶えていない。

避妊ピルは、妊娠を遅らせる性的コストを取り除く一方で、妊娠におけるジレンマを解決するわけではなかった。むしろ、難しいプロセスの積み重ねである妊娠という経験を崩壊させているのではないか。妊娠するかどうかは”後回し”にされ、議論されることもなく、時に想像にも及ばないといったような、避妊ピルによる”妊娠コントロール”が出来る、というイリュージョンを抱かせているようにも見える。インタビューした女性たちは、妊娠を延期したことによる隠れたコスト、つまり不妊に悩んでいた。そして35歳というすで限界がある妊娠可能性が更にガタガタと落ち始めるタイミングで、医療に頼るかたちでの妊娠をを追い求めることになるのである。

 

この論文は妊娠の後回し及び加齢による不妊の歴史的背景や、不妊治療の成功率等のデータの分析、避妊ピルと不妊治療という2つのテクノロジーがどう関わってきているか書いているのだけど、

 

今回は"Postponing but not thinking about fertility (=遅らせているけど、妊娠のことは考えてない)"というセクションをピックする。

妊娠ってミステリーでそもそも、どうやってそもそも自分が子供が欲しいと思ってるかに気づくのかっていう文章を読んだ時に、確かに、と思うのである。むむむ。

 

いや〜、子供欲しいよね〜、といいつつ、今子供出来たら困るわけで、更に言えば、避妊をやめれば子供はできるとどこかで信じてるから、そういう意味ですでに私は要約に書いた通り、妊娠コントロールイリュージョンにかかっている気がしたのである。(てゆうか確実にこれ)

 

近代の状況は、過去から続く妊娠を遅らせるという社会的習慣の上に成り立っている一方で (イギリスの話です、イギリスは日本に比べて昔から出産年齢遅め)、延期する行為自体は避妊ピルによって大きく変えられていることがわかった、とSzewczukさんは言う。(またしてもお名前発音わからず無念。笑)

 

ケーススタディ☆

キティーは34歳、37歳のときに2人目のの子供が欲しいと思うようになり、いわゆる妊活を18ヶ月間したのち妊娠補助治療を始めた。インタビューをした時点で彼女は41歳で、すでにIVF治療に4回失敗していた。16,000ポンド(約250万円)以上かかっているのだという。避妊薬の使用について、キティーはこう言う、

32か33歳までピルを飲んでいたわ、でも特に何にも考えてなかった。効果あったし、自分にあってたから。(2007年3月)

彼女の答えは、避妊薬に対する典型的な回答である。効果があった、ということ以外、誰も避妊薬の使用に対する意味のある説明を出来なかった。

一般的に

あら、全然考えたこともなかったわ。単純にピルを飲んでいて、特に何も真剣に考えなかった。 (スーザン) 

とか

今まで考えることもなかったわ、本当に。ピルは自分にあってたし、問題なかった。つまり、望まない妊娠する心配をする必要がなかったから、そういう意味でピルに関する他の心配事なんか考えたこともなかった。(ハリエット)

とかそんな調子なのである。避妊ピルの使用は妊娠を遅らせるにおいて、何てことないことであり、妊娠の希望や意志も同様に何か深く考えるものではないということである。今回の研究では、多くの女性が、少なくとも2人の子供がいる家族を持ちたい、とずっと思っていると主張する一方で、妊娠の意志は、めったに、もしくは全く持って話されることがなかったことが明らかになった。

 ん〜、私たちはファミリープランみたいなものっていうのは持ってなかったし、特にその時話し合いもしなかった。こうゆうのって、なんか暗黙のものって感じじゃない。(ベス)

たくさん話したとは言えないわ。何というか、想定はしていたという感じかしら。ただ明確なプランがあったかと言われたら、、NOね。(ルース)

インタビューした女性たちは口を揃えて妊娠に関する話し合いは「後回し」だったと説明している。妊娠の意志は曖昧で未熟で、未だに暗黙のもの、当然のこととして仮定されているものであり滅多に議題としては上がらないようである。

 

避妊をしている間はこんなにも全てが曖昧なのに、一方で、不妊と人工補助妊娠の経験をした後には、長くて、詳細な物語を生み出してしまう。キティーの言葉が胸にささる。

私は別に子供を産みたがってたわけでもないし、母親らしいとかそういう感じでもなかった。あるポイントでー多分32か33歳のときかわかんないけどー全てを手に入れたのに、なんとなく幸せに感じなかったの。私は自分の人生に欲しいものは全部手に入れてた、仕事もあったし、彼と私は仲良しだった。私は先生としてL市で働いてて、彼がC市で仕事を始めたからその間のこの街に越してきて、、何で幸せじゃないのか分からなかった。幸せになる全ての理由を持っていたのに、幸せじゃなかったの。自分が妊娠していないことがわかった時、”あ、これが原因か、私子供欲しいんだ!”って思ったの。でも別にそれはベビーカー見ちゃうとか、子供欲しい願望がぐわっときた、みたいな感じできたわけではなくて。私は子供が欲しかったのに、自分でそれに気づかなかったの!おかしいわよね。

 

まずここでキティーがどうやって自分が子供が欲しいと気づいたと言っているか、を考える前に、彼女が何を言っていないか、と考えるのも重要であると思う。

 

出産の後回しはよく夫婦およびパートナーの関係が不安定であることとリンクしていると言われる(van de Kaa 2001, Sobotka 2004)。他の多くの文献でも、一番の理由は「パートナーがいないから」が挙げられている。でもキティーの遅めの妊娠の決断は、この研究の多くの女性同様、安定した関係性の元で発生しているのである。彼女は結婚8年目である。

遅めの出産は、妊娠に対する社会的もしくは経済的弊害、例えば性差別を避けたいというような願望(MacDonald 1997) や、ワークライフバランスを保ちたいという願望や”必要性”(Hakim 2003)に迫られている場合もある。もしくは子供を生むことによる経済リスクや不透明性を避けたい (何が起こるかわかんないから、産めないよ今は、という感じ)とかも大きく関係している。(Becker 1960, 1991, Easterlin 1985).

 

キティーの場合遅らせすぎた出産を”コントロールできない社会的/経済的事情のせい”にできるだけの状況ではあるが、彼女はそうはしていない。彼女はBerrintonの言うところの"Perpetual postponer" (永遠に遅らせる人)と言えるだろう。単純に、30歳を超えた遅めの初産が可能だったことによって自分が妊娠できると過大評価をし、結果として2人めの子供を授かることができなくなる、ということである。

 

少し前に30代女性向けの雑誌でも「第二子不妊」が取り上げられていた。30歳を超えた初産が可能であることは少し周りを見渡せばわかることである。本当は2人欲しかったのに、結局1人になってしまった、というのは、確かに子供をそもそも授かれなかった女性からしてみれば贅沢な話と言われるかもしれないが、単純に辛い不妊治療もしくは2人以降を諦めるという結果になるだけでなく、少子化の一つの理由でもあると思う。

 

もちろん”本当は欲しかった”がどのくらい”本当”なのか。

2人目できなくても、まあいいか、なのか。絶対嫌だああああ!なのか。

 

”本当は私パティシエになりたかったんだよね〜、なんで今OLしてるんだろう〜はぁ。”とかいう人がいると、それは本当に本気でなりたかったわけじゃないと思います、以上。って思ってしまうけど。

不妊治療とか子供を授かるとか妊娠するとか、他のことより、自分の本気度ではどうしようもないレベルが高くて、その時点になったらもうどうしようもなくなってしまうから。この論文のインタビューから見える一つのこととして、本気で欲しいかどうか、ということを、晩産になりそうな夫婦こそ、きちんと2人話し合う、という当然のことがもっと必要である。ということでした。(続く。。文化的側面、人類学的解釈等)

 

結婚してない私にはよくわかりませんけども、夫婦で妊娠のタイミングとか話すことはそんなに難しいことなんでしょうか?

 

とりあえず友人たちにこれを伝えようと思います。そして聞いてみようと思います。結婚と出産しない限り私はこの分野でまともな研究者になれない気がしてきて寂しいので婚活もしなければなりません。アーメン。

 

絶賛募集中。

 

 

 

 参考

Berrington, A. (2004) Perpetual postponers? Women’s, men’s and couples’ fertility intentions and subsequent fertility behaviour. Working paper A04 09. Division of Social Statistics. Southampton Research Centre. Southampton: University of Southampton.

 

緑の文字になっているところは私の尊敬する大先輩から私の脳内に叩き込まれているフレーズの一部です。

自己啓発本系ってなんか結局だから何、って感じで終わるのだけど、なんかエネルギーあふれすぎてる先輩のストレートなちょっと厳し目の、実用的な言葉たちが載っているので良かったら見てみてください。

杉山大輔 :運を動かせ

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