Egg freezing?

元OL、独身アラサー、社会人類学専攻大院生が卵子凍結保存を本気で考えるブログ

最近の人は昔ほど早く結婚や妊娠したりしないよね、と、35歳までに産んだほうがいいよね、のジレンマ。

先月日本に一時帰国して卵子凍結保存の現場を見せていただくことができました。

保存や受精の現場を見たことそのものにも、私の研究を面白いと思ってくれて快く受け入れてくださった大先輩方、現場の医療従事者の方々にも感謝です。次の記事で書こうと思います。

 

さて、前回 (”子供が欲しい”かどうか、どうやったら気づけるのか。謎。 - Egg freezing? ) の続き。

 

子供が欲しいと思ったのじゃなくて、子供がいない状態がいやだ、とかいう話。

これについてもう少し詳しくみてみる。

 

前回の記事に登場してきたような、子供が欲しいと思い不妊治療をしている女性にとって、"being Childless(子供がいない)"であること自体は、決して新しい現象ではない。ということ。

今までの人生を常に"Childless"として生きてきたわけだし、20歳のときchildlessだったのと同じように、35歳でもchildlessなだけなのである。

時とともに何が変わったのか、というのは彼女たちが”childless”であるという事実ではない。”Childless”であることをどのように認識し、経験してきたか、というところなのである。

確かに、これらの女性は出産を遅らせることをなんとなく習慣かしてしまい、何か他のライフイベントのなかで、意識的に、そして真剣に、このままchildlessでいたいかどうか、考えされることがあるまで子供を産まないでいる、というのは一理あることである。

これは、特に発言からみるのがわかりやすいと思う。

一見、女性たち(KittyやKaren@前の記事)は、子供が欲しいという願望について話しているように聞こえる。

しかし発言を今一度読み直していると、明らかに彼女たちは、子供について話しているわけではないのである。”Childlessness”、つまり子供がいないことに対して話しているのである。

彼女たちは、自分たちは子供がいない、childlessであることを見直し、嫌だとおもったから、出産するという決定をしている。子供を持つ価値や母親になることの意味、ではなく、延期することの費用対効果を話している。

 

Epstein の言葉を借りると

the stronger a prevailing social norm the less the agent actually thinks about it or subjects it to any critical or calculating analysis. Thus, through the action of social norms we ‘learn to be thoughtless’ (Epstein 2001: 9).

世の中に普及している社会通念が強ければ強いほど、実際に考えることが少なくなるということ、”考えない、ということを学ぶ”のである。

 

 

晩婚化が進む社会においては、出産を遅らせることはかなり強い妊娠に関する通念である、しかし、35歳までに妊娠をする、というのもまた、とても強い通念なのである。

30代前半から半ばの女性たちはこの2つの強力な、でもそれでいて真逆の妊娠に関する考え方の、まさに交差点に置かれおり、妊娠に関して真剣について考えだすタイミングなのである。

これがまさに、上に述べたような、子供がいないことに対する認識と経験の変化であり、遅らせていることに対する価値の変化であり、子供を産みたい!という結論に女性を導いているのである。

 

まさに、と思う。

私の感覚値であるけど、日本の女性の場合はその2つの社会的通念の設定が30歳に近い気がする。

30歳までに結婚したい、やっぱり20代のうちに第一子は産んでおきたい。

 

一時帰国の間に何回聞いたか分からないし、何回自分でも言ったかわからない。笑

 

しかしここで考えるべきは、なぜその人が、自分がそういう発言をしているかということ。この論文から学ぶに、やはり多くの人が、”なんか周りに子供産んでるひと増えてきたし、そろそろなんかなあ、いつまでも独身ではいられないよね”、という。

子供が欲しくて、子供が欲しいと言っているわけではないことに自分で気づく。そして”なにも考えてない”ことに気づくのである。日本は 社会的通念(social norm)や、社会的圧力(social pressure/peer pressure)の強い国の一つである。個人主義より、集団主義、個性より調和。最近は変わってきているというのも事実だけど、まだまだ強いし、なにが問題って、いざなんか人生のことがよくわからなくなったら、それに従えばいいっていう 必殺 ”be thoughtless”が使えてしまうことだと思う。

 

仮に日本の場合、30歳あたりで2つの通念が交差する、つまり20代後半から30代前半が、子供を産むかどうかに対して真剣に考え始めるタイミングなのだとすると(感覚では、当たってる気がしてる)、その時期の女性に卵子凍結保存を提案することは、語弊はあるかもだけど、ターゲットとして適切なだと思うし、逆に社会通念の交差の値を35歳まで引き上げることができるのであれば、イギリス等の晩婚化の社会同様、"悩める女子"のタイミングが単純に5年後ろ倒しになるのだから、20代後半の大切な時期にキャリアとのバランスで悩むことは減るのかもしれない。

 

必殺、考えない。

なるようになる。とか、流れにまかせる。 とか言えば、なんかガツガツしてなくて、女子っぽくて聞こえがいいのかもしれないけど、一回しかない自分の人生流れに任せるとか、アホちゃう。って思うのです。

 

妊娠に関してなれば、最近は卵子の年齢(妊娠力)だって検査できるし、精子の元気さも検査できるし、少し行動すればできることはたくさんある。ガンになったらやばいから検査を受けましょうとなにも変わらないと思う。 

 

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(写真) Oxfordの卒業式

 

Berrington, A. (2004) Perpetual postponers? Women’s, men’s and couples’ fertility intentions and subsequent fertility behaviour. Working paper A04 09. Division of Social Statistics. Southampton Research Centre. Southampton: University of Southampton.